「富弘さんと父と私」 久保田 一樹

 呼べば答えてくれる
 人がいる
 苦しくても
 寂しくても
 誰もいなくても
 名を呼べる
 人がいる しあわせ

(星野富弘作・ほととぎす/書籍『速さのちがう時計』/絵はがき集 ペン画E 収録)

 

 これは父・久保田稔の葬儀の直後、朝日新聞群馬版に掲載された星野富弘さんの作品です。タイミングが良すぎるので多分違うかも知れませんが、私は富弘さんが父のことを偲んでの作品と心に刻み、今でもその新聞は大切にしていますが、シンプルな中にも、人と人との絆・役割・やさしさ・温かさ・・・様々な意味が込められている詩と改めて感じています。
父は、群馬県身障者福祉センター所長時代に、群馬大学に入院中の星野さんの作品に触れ「宝石に出会った!」感動に衝き動かされて、渋る星野さんを説得し、初めての詩画展を身障者福祉センターで開催しました。その反響は大きく、新聞・雑誌にも大きく取り上げられました。その後「もっと一般的な会場で多くの人たちに観てもらうため」と、これもシャイな星野さんを説得し、1983年高崎髙島屋で第1回「花の詩画展」が開催されましたが、その後の全国各地また海外でも開催される原点の催しとなりました。
 今年盲目のピアニスト辻井伸行さんがそのハンディをもろともせず国際ピアノコンクールで優勝しましたが、当時父は「星野君の絵には障害者だからというのではなく絵そのものに感動がある」と、心に響く真の力を見抜いていました。父は星野さんの初めての著書『愛深き淵より』の発刊のために出版社を奔走し出版に漕ぎつけ、今度はその普及のためにマイカーを飛ばして(交通違反もしながら)当時700円の本1冊をどんな山奥にも届けたりしておりました。その姿は情熱の塊そのもので、「これは!」と思ったことに突き進む行動力は、星野さんという「本物」を通して、家族の絆・優しさ、人と人が支えあう福祉の原点を世に問うことだったのだと思います。星野さんは講演会などで必ず「久保田所長との出会いは自分の転機」とお話下さいますが、父も自立された星野さんの活躍を大変喜んでいて、黒子としての自分の役割に満足していたことと思います。
 現在も星野さんご一家とは家族ぐるみの付き合いをさせて頂いておりますが、一昨年に富弘美術館の運営委員を仰せつかったことは、私にとって大変有り難く、富弘作品を維持し更にアピールする事へのやり甲斐を強く感じております。私は現在、百貨店に勤務しておりますが、百貨店も美術館も、お出で下さったお客様が「今日は良かったな。また来よう!」と満足してお帰りいただくことが最も大切なことと考えています。富弘美術館が「心のサプリメント」として、いつまでも人々に愛される存在であるよう、私はこの管理運営委員の仕事は父が繋いでくれたバトンと思い、私は私の役割を果たそうと思っております。

 

 

久保田一樹(くぼた かずき)プロフィール


写真:久保田一樹

1950年生まれ
群馬県高崎市在住
早稲田大学政治経済学部卒
現在、株式会社髙島屋本社人事部に勤務
CDA(キャリアカウンセラ-)
財団法人「草のひかり福祉会」理事


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